1.はじめに
健康経営の浸透や予防医療への関心の高まりを背景に、特定健診・特定保健指導の定着や人間ドック需要の拡大が進み、健診市場は安定的な成長を続けています。医療機関業界全体でも M&Aの選択肢が広がる中、健診クリニック・健診センターは、外来診療所とは大きく異なる事業構造を持つことから、独自の M&Aダイナミクスが存在する領域として注目されています。
健診クリニックは、CT・MRI・内視鏡・マンモグラフィなどの高額医療機器、広大な検査スペース、多職種のスタッフ体制を要する事業特性から、新規開業のハードルが極めて高く、既存施設の譲渡案件は市場では希少な存在となっています。
加えて、健診クリニックは、通常の外来診療と異なり、個人を対象とした BtoC 型だけでなく、健康保険組合や企業との法人契約を収益源とする BtoB 型のビジネスモデルでもあり、契約獲得・維持のために必要な実績や提携医療機関としての信用の積み上げに長い時間を要します。そのため、健診クリニックの開業を考える医師や医療法人にとって M&Aは有力な選択肢となっています。
本稿では、健診クリニックにおける M&Aの基本的な考え方や、売り手・買い手双方にとってのメリット、また実務上の留意点について、事例を交えながら詳しく解説していきます。
2.健診クリニック M&A の売り手のメリット
まず、M&Aというと、買い手側のメリットに目が行きがちですが、売り手にとっても多くのメリットがあります。
(1)引退後の生活資金の確保(営業権が高めに評価される傾向)
健診クリニックをM&Aで譲渡した際に得られる対価は、引退する医師にとって重要な老後の生活資金となりますし、医療法人からの事業譲渡の場合は次の投資の原資となります。通常、譲渡価格はクリニックの純資産に加え、いわゆる「営業権(のれん代)」を加えた金額で評価されます。
健診クリニックの場合、特筆すべき点として、市場における譲渡案件の希少性から、営業権が高めに評価される傾向があります。買い手は新規で健診事業を立ち上げる選択肢と比較検討するため、立地、設備、健保組合との提携実績、受診者数などが揃った既存施設に対しては、相応のプレミアムを乗せた評価が成立しやすい構造です。一般の外来クリニックと比較しても、譲渡時の評価倍率が高く出やすい領域と言えます。
(2)負債・リースの引き取りによる経営からの解放
健診クリニックの最大の特徴は、初期投資の大きさです。CT、MRI、各種内視鏡、マンモグラフィ、骨密度測定装置、超音波装置などの高額医療機器に加え、広大な検査スペースの内装工事費を含めると、設立時の負債やリース債務は大きな金額となるケースが少なくありません。これらは長期にわたって返済・支払を続ける必要があり、経営者個人の連帯保証が付されているケースも一般的です。
M&Aによる事業譲渡または法人譲渡では、これらの金融機関からの融資残債やリース契約を、譲渡価格と合わせて買い手側に引き取っていただくことが可能です。経営から引退する売り手にとって、長期間にわたり個人保証を伴う巨額の借入を抱え続ける負担から解放されることは、金銭的にも精神的にも大きなメリットと言えます。
(3)赤字でも買い手が見つかる可能性
健診クリニックの場合、立ち上げ期や大型設備更新の直後には赤字計上となるケースもあります。しかし、買い手側に独自の集客算段がある場合には、赤字状態でもM&Aが成立する可能性が十分にあります。
例えば、グループ企業や提携先企業の従業員健康診断を一気に取り込める背景を持つ買い手、既存の法人営業ルートで契約数を急拡大できる買い手、人材紹介・健康経営コンサルティング事業との相乗効果を狙う事業会社系の買い手など、買い手の事業構造によっては、現状の損益よりも将来の収益性で評価が決まることがあります。「赤字だから売却は難しい」と諦める前に、まずは案件として情報開示し、想定外の買い手と出会う機会をつくることが重要です。
(4)設備処分費用が不要
M&Aではなく閉院を選ぶ場合、CT・MRI・内視鏡などの高額医療機器の処分や、検査区画の原状回復に多額の費用が発生します。特に大型放射線装置の搬出には専門業者による解体・搬出作業が必要で、想定以上のコストとなる傾向があります。M&Aであれば、これらの設備をそのままの状態で引き継いでもらえるため、処分コストをかけるかわりに「資産」として評価され、譲渡価格に反映されます。
(5)スタッフの雇用を守ることができる
健診クリニックには、医師に加え、看護師、放射線技師、臨床検査技師、保健師、管理栄養士、医療事務など多職種のスタッフが在籍しています。閉院する場合は、これら全員が職を失うことになってしまいます。M&Aによる承継では、既存スタッフをそのまま継続雇用することを前提条件とすることができるため、長年共に働いてきたスタッフの生活を守ることが可能です。
3.健診クリニックM&Aによる買い手のメリット
健診事業への参入を検討している医療法人や事業会社にとって、健診クリニックのM&Aは経営的・実務的に非常に効率の良い選択肢となります。ここでは、買い手の視点から見たメリットを詳しく解説します。
(1)初期投資の大幅な抑制(建築費高騰下での合理的選択)
健診クリニック・健診センターを新規で立ち上げる場合、広大なスペースを確保したうえで、検査区画、待合区画、更衣室、保健指導スペースなどを整備する必要があります。また、各健保組合との提携の条件として、「外来診療と受付を分けること」などの条件が付されることもあり、広い面積の内装工事費がかかります。健診クリニックは立地も重要な為、駅近くで広い面積を確保できるビルとなるので、B工事(オーナーの指定会社による工事)の範囲も多くなり、場合によっては、内装費だけで数億円規模となることもあります。加えて、CT・MRI・内視鏡などの高額医療機器の購入費用、開業後の運転資金まで含めると、総投資額は医療機関の新規開業の中でも大きな水準となります。
近年は建築費・資材費・人件費の高騰が続いており、新規で同等規模の健診施設を構築するコストは、数年前と比較しても上昇しています。M&Aで既存の健診クリニックを譲受することで、すでに整備された施設・高額医療機器・運用フローをそのまま引き継ぐことができ、初期投資を大幅に抑えることが可能です。
(2)健保組合等との提携許認可をそのまま引き継げる
健診クリニックの収益は、健康保険組合等との直接契約に基づいているものもあります。これらの提携医療機関として登録されるためには、設備要件、受入実績、運営体制を整えたうえで申請手続きを行い、審査を経る必要があります。新規参入の場合、申請から契約締結まで相応の時間を要することに加え、実績要件を満たすこと自体に時間がかかるため、立ち上げ初期の経営の不確実性が大きくなります。
事業譲渡ではなく法人譲渡(株式譲渡または出資持分譲渡)でM&Aを実施する場合、法人格そのものを引き継ぐため、これらの提携契約や許認可をそのまま承継することができます。立ち上げ直後から既存の契約に基づく安定的な受診者を確保できる点は、新規開業では得られない大きなアドバンテージです。
(3)損益分岐までの累積赤字を最小化できる
健診クリニックは、賃借面積が大きく、固定費(賃料・人件費・機器リース料・保守費)の水準が高い事業特性を持っています。新規立ち上げの場合、損益分岐に到達するまでの期間が比較的長期化し、その間の累積赤字も大きな金額となる傾向があります。 M&Aでの承継であれば、すでに一定の受診者数・契約基盤・スタッフ体制が整った状態でスタートできるため、立ち上げ期間を大幅に短縮し、損益分岐までの累積赤字を最小限に抑えることが可能です。投資回収のスピードという観点でも、新規立ち上げと比較して優位性が際立ちます。
(4)経験豊富なスタッフをそのまま引き継げる
健診クリニックは、放射線技師、臨床検査技師、内視鏡介助の看護師、保健指導を担う保健師・管理栄養士など、専門性の高いスタッフ体制を必要とします。これらの人材は採用市場でも競争が激しく、新規にゼロから採用・教育するには時間とコストがかかります。M&Aでは既存のスタッフをそのまま継続雇用できるため、即戦力として承継初日から円滑な運営が可能です。
(5)既存の顧客基盤・営業ルートを引き継げる
健診クリニックの顧客は、健保組合・企業・個人受診者が中心で、いずれも長年の信頼関係に基づく契約・リピート受診により成立しています。M&Aで承継すれば、これらの顧客基盤や営業ルートをそのまま活用できるため、買い手のグループに新たな顧客チャネルを加える形で、事業のシナジーを最大化することができます。
4.健診クリニックM&Aにおける留意点
M&Aは成功すれば大きな効果をもたらしますが、慎重な準備が不可欠です。健診クリニックには、外来クリニックとは異なる固有の留意点が存在します。
(1)主要顧客・健保組合契約の継続性確認
健診クリニックの収益が特定の健保組合や企業1社に大きく依存している場合、その契約が承継後も継続するか否かが事業価値を大きく左右します。契約書の譲渡条項、健保側の意向、競合先の存在、過去の価格改定の経緯などを丁寧に確認する必要があります。可能であれば、主要取引先への事前相談・継続意向の確認をクロージング前に行うことが望ましいでしょう。売上の上位5先程度の集中度合いを把握し、リスクシナリオを織り込んだ事業計画を策定することが重要です。
(2)医療機器の動作状況・法定点検・保守契約の確認
健診クリニックは高額医療機器に依存する設備産業であり、一般的な財務や法務の買収監査に加えて、機器や設備のチェックは買い手の事前確認事項の優先事項の一つです。例として以下の3点を挙げます。
第一に、CT・MRI・内視鏡・マンモグラフィなどの主要機器が現在正常に稼働しているか、過去の故障・修理履歴(X線機器の管球の交換など)、近年の不調頻度などを確認します。直近で大きな故障があった機器については、修理状況や再発リスクの確認も欠かせません。承継直後に修理・交換が必要となれば、想定外のコストと事業中断リスクに直結します。
第二に、医療法施行規則等に基づくX線装置の漏洩線量測定、放射線管理区域の線量測定、マンモグラフィの精度管理(QC)、内視鏡の洗浄・消毒バリデーションなどの法定点検・定期検査が適切に履行され、記録が保管されているかを確認します。これらの法的義務が未履行であった場合、承継後に行政指導や是正対応が必要となるリスクがあります。
第三に、メーカーとの保守契約の残期間・契約料金・サポート内容を確認し、譲受直後に再契約や更新投資が必要となるかを把握します。各機器の導入年次・保守契約期間・想定更新時期を一覧化することが必要です。特にMRIは更新投資が高額となるため、タイミングを誤ると想定外のキャッシュアウトが発生します。これらは譲渡価格や中期事業計画に織り込んでおくべき要素です。
(3)立地・賃借契約・拡張余地の確認
健診クリニックは、駅からのアクセス、駐車場の有無、受診者の動線などが事業の競争力に直結します。賃借物件の場合、賃貸借契約の残期間、更新可否、賃料改定リスク、譲渡(チェンジオブコントロール)に関する貸主の同意が必要かなどを事前に確認することが不可欠です。また、将来的な受診者数増加に備えた拡張余地や、隣接区画の確保可能性も、買い手の中長期事業計画に影響します。
(4)健診単価・市場環境・競合状況の確認
健保組合の予算動向、協会けんぽの単価改定、競合健診機関の動向などにより、健診単価は中長期的な変動要因にさらされています。一方で、近年は予防医療への意識の高まりから、人間ドックのオプション検査、脳ドック、PET検診、AI画像診断などの高単価メニューの需要拡大も見られます。譲受対象クリニックの単価構造、メニュー構成、リピート率、競合との差別化要素を確認することが、承継後の収益見通しを立てる上で重要です。
5.おわりに
健診クリニック・健診センターのM&Aは、新規参入のハードルが極めて高い領域であるからこそ、既存施設の承継に大きな経済合理性が存在する領域です。
売り手にとっては、希少性ゆえに高めの営業権評価が期待でき、巨額の負債やリース債務からの解放、スタッフ・設備の継続活用を実現できる選択肢です。赤字状態であっても、買い手の事業構造次第で十分にM&Aが成立する可能性があるため、選択肢を諦めずに専門のアドバイザーへ相談することが重要です。
買い手にとっては、建築費高騰下で新規構築する場合と比較し、初期投資を大幅に抑えながら、健保組合との提携許認可、顧客基盤、営業ルート、専門スタッフをまとめて獲得できる魅力的な選択肢です。立ち上げ期間と累積赤字を最小化し、グループ全体のシナジーを早期に発揮できる点は、特に医療法人や事業会社系の買い手にとって大きな価値となります。一方で、設備のデューデリジェンスを丁寧に行うことが、承継後の安定運営の鍵となります。
弊社では、健診領域における豊富なM&A支援実績を活かし、売り手・買い手双方のニーズに寄り添ったマッチングと手続き支援を行っています。譲渡をお考えの先生、またはこれから健診事業の参入・拡大を検討されている方は、ぜひお気軽にご相談ください。

執筆者:金子 隆一(かねこ りゅういち)
(株)G.C FACTORY 代表取締役
経歴:
国内大手製薬会社MR、医療系コンサルティングファーム「(株)メディヴァ」、「(株)メディカルノート」コンサルティング事業部責任者を経て、2020年4月、(株)G.CFACTORY設立、現在に至る。医療系M&A、新規開業支援、運営支援において実績多数。
実績・経験:
・開業支援(約50件)、医療機関M&A(約50件)、医療法人の事務長として運営を3年間経験
・複数の金融機関、上場企業におけるM&A業務顧問に就任
・大規模在宅支援診療所の業務運営の設計及び実行責任者を兼任